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パラドックスブレイカー

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グルーのパラドックス、ヘンペルのカラス、サンクトペテルブルクのパラドックス、モンティホール問題(三囚人問題)等を解明

目次

1.    はじめに

2.    グルーのパラドックス

3.    ヘンペルのカラス

4.    サンクトペテルブルクのパラドックス

5.    モンティホール問題(三囚人問題)

1.  はじめに

パラドックスとは、理論的な結果が、感覚的な結果と合わず、受け入れがたい問題をいう。後者は、人間が脳で考えた結果である。そこで、脳がその問題について、どう思考したのかを解析することで、理論的結果と感覚的結果の差異の真相を解明する。

2.  グルーのパラドックス

2.1. 問題(パラドックス)

 「グルー」という色は「2049年までは緑、2050年からは青」を表すとする。ある鉱石の色を2049年以前に何度も観察して、グルー色であるという確証を得た。実際は緑色だったとして、2050年以降にグルー(青色)であると、帰納的に推論できてしまうのはおかしい?

2.2. 一般的な回答

 帰納的推論をして良い場合と、してはいけない場合があり、人間はどうやってかうまく判断している。

2.3. 真相

 グルーの定義という前提条件のもとでは、2050年以降もグルー(青)であるという帰納的推論は正しく、帰納的推論をしてはいけないなんてことはない。

 この問題は次の例と同値である。ボタンAとボタンBとランプCが付いた機械があるとする。ここで、

仮説:(ボタンAを押す) or (ボタンBを押す)→(ランプCが点灯)

という仮説を立てたとする。ボタンAを5000兆回押したら、毎回ランプCが点灯した。5000兆回も上の仮説が正しいという証拠があるので、この仮説はほぼ正しいといえるだろうか?ボタンBを一度も押してないのに、ボタンBでランプCが点灯すると主張できるのはおかしいと感じるだろう。しかし、仮説を立てる時点で、ボタンAとボタンBを区別しないという前提条件にしているため、その前提のもとでは仮説が正しいという推論は正しい。ボタンAとボタンBが区別されるべきだと思うなら、始めから次のように二つの仮説に分けて、それぞれを検証するべきである。

仮説①:(ボタンAを押す)→(ランプCが点灯)

仮説②:(ボタンBを押す)→(ランプCが点灯)

 グルーの例では、

仮説:(2049年以前なら緑色) or (2050年以降なら青色)= (ある鉱石の色)

と仮説を立てている。2049年以前と2050年以降で区別しないという前提条件の仮説を立てているのだから、2049年までグルー(緑)だという観測から2050年以降もグルー(青)と推測するのは正しい。おかしいと思うなら次のように仮説を立てるべきである。

仮説①:(2049年以前なら緑色)= (ある鉱石の色)

仮説②:(2050年以降なら青色)= (ある鉱石の色)

 仮説の立て方によって結論が変わるが、どう仮説を立てるべきなのだろうか?

仮説:(ボタンAを親指で押す) or (ボタンAを小指で押す)→(ランプCが点灯)

という仮説を立てることができるが、それとも次のようにするべきだろうか?

仮説①:(ボタンAを親指で押す)→(ランプCが点灯)

仮説②:(ボタンAを小指で押す)→(ランプCが点灯)

ボタンAを親指で5000兆回押して、毎回ランプCが点灯したなら、ボタンAを小指で押すのが初めてでも、ランプCが点灯すると推測するのが普通だろう。仮に押す指が同じだとしても、押す時刻によって区別するべきだというように、どこまでも厳しく区別すれば、すべての場合は別であり、仮説の証拠とならなくなる。逆に区別を甘くすれば、どんな場合でも仮説の証拠になる。このように、どこまで区別して、どこまで区別しないかは、自由に決められるため、都合の良い結果になるように、前提・仮定を決めることができてしまう。RUSAGIでは、その点をうまく解決している。

3.  ヘンペルのカラス

3.1. 問題(パラドックス)

 「カラスは黒い」という仮説を考える。対偶である「黒くない物はカラスではない」が真なら、この仮説は正しいといえる。そのため、室内の「黒くない物」を調べて「カラスではない」と確認していけば、カラスを一羽も見ずに、「カラスは黒い」ということができてしまう?

3.2. 一般的な回答

 全ての黒くない物を調べることが不可能なら、必ず正しいという証明にはならないが、調べる数が増えるほど、確証が高まるとはいえる。

3.3. 真相

 室内の「黒くない物」を全て(または無限に)調べて、「カラスではない」と確認したとしても、「カラスは黒い」という確証は得られない。

 まず、対偶論法が成り立つ仕組みだが、もし「白いカラス」が存在するなら、「黒くない物」を調べていけば、カラスが現れるはずである。ゆえに、全て調べてカラスが現れなかったら、「カラスは黒い」といえる。しかし、室内にカラスが1羽も居ないことを知っていたのなら、室内の「黒くない物」は「カラスではない黒くない物」であるため、もし「白いカラス」が存在するとしても観測できないため、「カラスは黒い」とはいえない。

 では、室内に限定せず、カラスがどのくらいの頻度で存在するのか知らない状況で、「黒くない物」を観察していった場合を考えよう。この場合は、観察したものがカラスではないほど、対偶論法により「カラスは黒い」という確証が高まると、一見考えられる。しかし、同時に、今まで調べた場所には、カラスは居ないのでは?という確証も高まってしまう。つまり、先ほどの室内と同じ状況である確証が高まり、対偶論法が成り立つ前提が揺らぐ。対偶論法により「カラスが黒い」という確証が高まる一方で、前提が成り立っていない確証が高まり、「カラスが黒い」という確証が低まる。結局、いくら沢山観察しても、どちらともいえない。

 対偶論法は成り立つのは、観察対象の中でのカラスの出現頻度が既知の場合のみである。出現頻度が既知なら、ベイズ推定等によって、統計的に「カラスが黒い」確率を推定できる。あるいは、「黒くない物」だけを調べるのではなく、「黒い物」も同時に調べてくのであれば、カラスの出現頻度を推定できるため、統計的推定が可能になる。

4.  サンクトペテルブルクのパラドックス

4.1. 問題(パラドックス)

 コインを投げて続けてオモテが1回目で出れば1円、2回目で初めて出れば2円、n回目で初めて出れば2^(n-1)円貰えるゲームがあるとする。1回100円でプレイできるとして、ほとんど人はやらない方が得だと感じるだろう。しかし、数学的には期待値は∞円なので、いくら払ってもプレイした方が得である。

4.2. 一般的な回答

効用という考え方で、5000兆円もらっても使いきれないので、5000億円と同じくらいの価値(効用)しかないと考える。効用の期待値は∞にはならないため、いくら払っても得とは感じない。人間は、効用を計算して、損得の判断をしている。

4.3. 真相

 大半の人間は、効用を計算して損得の判断をしているとは言い難い。「何円以上なら、使いきれないので同じくらいの価値ですか?」と質問しても、はっきり答えられる人は少ないだろう。

考える時間にかなりの余裕がない限り、実際には次のような計算を行うと思う。1/2の確率で1円、1/4の確率で2円、1/8の確率で4円、1/16の確率で8円。ここまでの15/16の事象で1~8円が貰え、その期待値は1と8の中間よりは小さく2~3円程度だろう。1/16の事象では32円以上貰えるが、その頻度は1/16しかないので、全事象でも期待値は5~6円程度だろう。正確に計算したわけではないが、100円よりは十分に小さいと推測できる。このゲームの期待値が∞であると聞かされた時、多くの人は予想外だと感じるだろう。1/16部分の期待値が∞だとは推定していなかった証拠である。事象の数は無限個あるが、その大半の15/16で起こる部分について計算した時点で、残りの1/16で起こる事象についても大差ないだろうと帰納的に推測して、計算を打ち切っているのである。期待値が∞であると気づいていなければ、効用も正確に計算できてはいない。

5.  モンティホール問題(三囚人問題)

5.1. 問題(パラドックス)

 はじめに、A,B,Cのどれかがランダムで正解だと伝えられ、回答者がAを選んだとして、選ばなかった2つのうち、Cは不正解だと伝えられた。このとき、数学的にはAよりも、Bの方が正解の確率が高いが、AとBは同じ確率だと思う人がかなり居る。

5.2. 一般的な回答

問題が正しく解釈されていれば、数学的に、Bの確率が高いのは間違いない。

5.3. 真相

 Bの確率が高いのは間違いないが、なぜ同じだとい誤った推論に至る人が居るのかは、次のように説明できる。(1)「A,B,C 3つの選択肢の内どれか1が正解」。(2)「すべての選択肢は同様に確からしい」。この時点では、3つとも1/3であると推測する。Aを選択後、(3)「Cの確率は0」。であると情報が与えられる。(1)(2)(3)から、A,Bともに1/2であると推測される。しかし、(2)は正しい情報として与えられたものではなく、情報がないからそう判断しただけであり、実際は(3)の情報が与えられた時点で、(2)は成り立たない。(3)が与えられた瞬間、まずは、ABに絞り込むが、その段階では、ABどちらの確率が高いかの知識がないため、ABは同様に確からしいと思う。ここまでの思考は、直感的に行える。この段階でどちらの選択肢を選ぶか迫られたら、思考はタイムアップし、ABともに1/2であると判断してしまう。数学的に正しい答えを出すには、そこからさらに、意識的に非直感的な計算を行わなければならない。しかし、1/2で計算をやめてしまう人もいる。それは、(1)(2)の時点での推測値を真の値として確信しているからである。新たな情報が与えられて前提条件が変化したときには、それまでに考えたことを捨てて、考えなおさなければ正しい推論ができない例である。